マイコビッチ、ネットアイドルへの道

2005年 09月 07日 ( 6 )

先に下の4つの記事を読んでね。


この記事はその感想なので、先に下の4つの記事を読んでくだされ。長いけど・・・。


まず、菊池寛が直木賞と芥川賞を作ったことにビックリしました。(みんな知ってました?)そして、直木賞が直木三十五という人の賞だということ、しかも直木三十五の『直木』は本名の「植」という字を分解したもので、『三十五』は年齢を元にしたものだと知って、なるほど!オモシロイ!と思いました。あと、菊池寛の「くちきかん」エピソードもかなり私のツボにはまりました。調べてみると色々オモシロイことがわかりますね。楽しかった〜。
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by maikovic | 2005-09-07 18:24

菊池賞

菊池寛賞は、故菊池寛が日本文化の各方面に遺した功績を記念するための賞であり、昭和27年に制定された。同氏が生前、特に関係の深かった文学、演劇、映画、新聞、放送、雑誌・出版、及び広く文化活動一般の分野において、その年度に最も清新かつ創造的な業績をあげた人、或いは団体に授与されている。

菊池 寛(きくち かん、1888年(明治21年)12月26日香川県高松市生まれ)。小説家、劇作家、ジャーナリスト。本名は同一表記で「—ひろし」。高松中学校卒業後、東京師範学校(現筑波大学)除籍。明治大学、早稲田大学を中退した後1910年第一高等学校文科入学。京都帝国大学文学部英文科卒業。時事新報社会部記者を経て小説家となる。雑誌『文藝春秋』を創刊、大成功を収め富豪となった。日本文藝家協会を設立し、芥川賞、直木賞の設立者であり、大映初代社長も務める。これらの成功で得た資産などで、川端康成、横光利一、小林秀雄等新進の文学者に金銭的な援助を行った。テレビドラマ『真珠夫人』は、彼の作品が原作である。原作は長らく絶版となっていたが、2002年テレビドラマ化に伴い復刊された。(←なるほど!)1927年、第16回衆議院議員総選挙に東京1区から社会民衆党公認で立候補したが、落選した。麻雀に熱中していたことでも知られ、日本麻雀聯盟初代総裁でもある。大正時代の中期から麻雀をやり続け、かなり強かったそうであるが、自分が負けると、ムッとして黙り込んでしまい、「くちきかん」と陰口を言われたそうである。
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by maikovic | 2005-09-07 18:21

直木賞

直木賞は、直木三十五の業績を記念した、大衆文学の新人に与えられる文学賞。(現在は特に新人かどうかには拘っていない。)文藝春秋社の菊池寛が1935年(昭和10年)に芥川賞とともに創設し、以降年2回発表されている。受賞は選考委員の合議によって決定され、受賞作は『オール讀物』に掲載される。2005年現在の選考委員は、阿刀田高・五木寛之・井上ひさし・北方謙三・津本陽・林真理子・平岩弓枝・宮城谷昌光・渡辺淳一の9名。

直木 三十五(なおき さんじゅうご、1891年(明治24年)2月12日、大阪市生まれ)は直木賞に名を残す小説家。本名は植村宗一。「直木」は「植」の字を分解したもので、「三十五」は年齢を元にしたもの。31歳の時に直木三十一の筆名で『時事新報』に月評を書いたのが文筆活動の始まりで、以降誕生日を迎えるごとに「三十二」、「三十三」と名前を変えていた。34歳の誕生日を迎えた時、本人は「直木三十四」と書いたのに、編集者が勘違いから「直木三十五」と書き直してしまったが、当の「直木三十四」氏はそれを訂正することはせず、それ以降、直木三十五から名を改めることはなかった。(他に竹林賢七などの筆名も用いている。) 直木は、父の反対を押して早稲田大学文科に入学したが、月謝未納で除籍。しかし、登校はし続け、卒業記念写真の撮影にも参加している。1929年『由比根元大殺記』で大衆作家として認められ、亡くなった翌年の1935年、文藝春秋社長・菊池寛により彼を偲んで直木賞が設置された。忌日の2月24日は、代表作『南国太平記』に因んで「南国忌」という。
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by maikovic | 2005-09-07 18:19

芥川賞

芥川賞は、大正時代を代表する小説家の一人、芥川龍之介の業績を記念した、純文学の新人に与えられる文学賞。株式会社文藝春秋が呈する文学賞であり、菊池寛が1935年(昭和10年)に直木賞とともに創設し、以降年2回発表されている。受賞は選考委員の合議によって決定され、受賞者には正賞として懐中時計、副賞として100万円(2004年現在)が授与され、受賞作は『文藝春秋』に掲載される。2005年現在の選考委員は、池澤夏樹・石原慎太郎・黒井千次・河野多惠子・高樹のぶ子・三浦哲郎・宮本輝・村上龍・山田詠美の9名。

芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年3月1日生まれ)は『羅生門』などの著作で知られる日本の小説家。龍之介の名前は、彼が辰年・辰月・辰日・辰の刻に生まれたことに由来すると言われているが、これは事実ではないともされている。東京帝国大学(現東京大学)文学部英文学科在学中の大正三年に菊池寛、久米正雄らとともに同人誌「新思潮」(第三次)を刊行。翌年代表作「羅生門」を「帝国文学」に発表、級友の紹介で夏目漱石門下に入る。翌々年には第四次「新思潮」を発刊し、その創刊号に掲載された「鼻」が漱石に絶賛される。この年東大英文科を20人中2番の成績で卒業。(卒論は「ウィリアム・モリス研究」)大正五年十二月より海軍機関学校の嘱託教官(担当は英語)として教鞭を振るう傍ら創作に励み、翌年初の短編集「羅生門」を刊行する。大正七年三月教職を辞して大阪毎日新聞社に入社、創作に専念する。(ちなみに師の漱石も明治四十年、同じように朝日新聞社に入社している。)大正十五年(昭和元年)、胃潰瘍・神経衰弱・不眠症が高じて湯河原で療養。昭和二年一月、義兄の西川豊が放火の嫌疑をかけられて自殺する。このため芥川は彼の残した借金や家族の面倒を見なければならなかった。そして1927年7月24日、田端の自室で雨の降りしきる中、「続西方の人」を書き上げたのち、芥川龍之介は服毒自殺。社会に衝撃を与えた。死の数日前に芥川を訪ねた同じ漱石門下で親友によれば、芥川はその時点でもう大量の睡眠薬でべろべろになっており、起きたと思ったらまた眠っているという状態だったという。すでに自殺を決意し、体を睡眠薬に徐々に慣らしていたのだろうと推測される。遺書として妻文に宛てた手紙、菊池寛、小穴隆一に宛てた手紙があり、自殺の動機について彼は「僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安」と記している。命日は小説『河童』から取って「河童忌」と称され、死の8年後、親友で文藝春秋社主の菊池寛が、芥川の名を冠した新人文学賞「芥川賞」を設けた。『藪の中』は黒澤明によって映画化され、日本映画初のヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞した。タイトルは『羅生門』と改称されている。
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by maikovic | 2005-09-07 18:16

最初にこの記事を読んでね。

 読書の秋!ということで、今、色々な本を読んでいます。で、ついさっき読み終わったのが、先日芥川賞を受賞した中村文則氏の「土の中の子供」。この本を読んだ直後は疲れました。この中には私の中からは生まれてこない感情や発想があり、私が今生きている世界とはまるで正反対のことが書いてあり、非常に衝撃的でありました。私の好みの作品かと問われたらそうでもないのですが、27歳という若さでこの作品を生み出すことができるというのは素晴らしいことであり、同世代として誇らしく思いました。

で・・・ですね、芥川賞とか直木賞とか、いとしこいし師匠も受賞したことのある菊池寛賞など、言葉はよく耳にするのですが、この人たちはどんな人で、どんな賞なのかをよく知らないことに気づきました。なのでちょこっと調べてみることにしました。(それが上の3つです。そしてそのさらに上が感想なり。)
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by maikovic | 2005-09-07 12:50 | いとしこいし師匠

梨が美味しい季節です。


 数ヶ月前から出社時刻が変わって
 はなまるマーケット(はなまるカフェが始まるくらいまで)が見られるようになり、
 チラシ活用術とかオモシロキッチングッズの紹介などなかなかためになる情報が
 あるので、ちょくちょく見るようになりました。

 で、今日の特集は「梨」。

 ふむふむ、なるほど。。。
 と思ったので、ここで紹介しちゃいますね。
 
 1.歪な形をしたものよりバランスのよい綺麗な形をした梨の方が甘い。
 2.中心より外側、上より下、の方が甘い。
 3.梨は、食べる2〜3時間前に冷やすのではなく、
   買ってきたらすぐにポリ袋などに入れて冷蔵庫の野菜室に入れておくと
   甘くなる。 ※これで1週間くらい保つそうです。
 4.皮は薄く剥いた方が甘い。
   ※薄く剥くには、手で持って剥くより、くし形に切った梨を
    まな板に置いて、包丁をまな板に滑らすようにして切るといいらしい。

 ・・・とこんな感じだったかな。

 全部なるほど!の情報だったのですが、この中でも
 梨を買ってきたらすぐ冷やしてOKというのが結構意外でした。
 
 皆さんも、美味しい梨をもっと美味しく食べるために、是非お試しあれ!
 
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by maikovic | 2005-09-07 09:55